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ご報告


突然ですが、任期を4ヶ月弱短縮し、日本に帰国しました。
ガボンを2月28日に発ち、日本に3月2日に到着しました。
家庭の事情による帰国で、今は実家に暮らしています。

1年8ヶ月のガボン生活は、たくさんの人々に支えられ、充実した日々でした。
異文化の中で、仏語に苦しみ、思い通りにならないこともたくさんありましたが、振り返るとどれも良い思い出、良い経験です。
このブログを読んでくださり、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。

これから少しずつ日本でガボンでの経験を伝えていければ、と考えています。
今後ともよろしくお願い申しあげます。
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ストライキ

【隊員総会】や保健関連職種の隊員で構成する【保健部会】、そして【健康診断】などが年明けに首都であり、数日職場を留守にして、約1週間ぶりに出勤した1月12日。

朝一で院長(職場のトップ)が出勤してきて、
珍しいな~(いつもは一番最後に出勤)と思っていたら、
「トモ、他の職員たちはストライキに入って、彼らは働かないから。しばらく俺1人だから。」と告げられた・・。
「え~?!ストライキ?!」
訳が分からず、何で!?何で?!と不思議に思い、ストライキに加わっていない掃除のおばちゃんに理由を聞くと、私のいない間に院長とその他スタッフの間で大きな衝突があったらしい・・。
もともと、院長とその他スタッフの間柄は良いとは言えない状態。
それは、院長が厳しすぎる(スタッフ談)というのと、大半のスタッフは、院長の要求に応えるだけの仕事をしていない(院長談)というのが原因。
そんな状態で、スタッフは常に院長に対して不満を持っていたので、私がいない間に起こった事件をきっかけに、その不満が爆発し、院長の交代を要求して、ストライキを前日の11日から開始したとか・・。

わぉ・・えらいことになった・・。
と思いつつ、私はどちらの側につくこともできないのでいつも通りの仕事を開始。
その他スタッフは、出勤してくるものの、建物の中に入らず、外のベンチで待機状態。
私が分からないことを質問に言っても、
「トモ、俺たちはストライキ中なんだから、仕事のことを聞かないでくれ。」と答えてくれず・・。
そして、彼らにストライキを起こした原因を改めて聞くと、確かにその事件はかなり大きなもので、院長の交代を求める彼らの気持ちも分からないではない・・。でも・・。
スタッフが働かないで最も困るのは、患者さん・・。
患者さんのことを考えるといつまでもこんな状態では、ほんとに困る・・。
はぁ~頭が痛いっ
と思っても、この状態緩和のために私にできることは・・ない。そんな自分も情けないなぁと思いつつ、でも、私はいずれ去る身なのだから、やっぱりこれは、彼ら自身で解決してくれなければ困る。

一応、保健省の州のトップが仲裁に入り、話し合いの場が13日に開かれ、その翌日からスタッフは、≪サービスミニマム≫ということで、12時まで(現在の勤務時間は7時半~15時半)働くことになった。
そして、その後1度院長とスタッフの直接の話し合いが行われたものの、スタッフの”院長の交代”に代わるいくつかの要求事項に全ては妥協点が見いだせず、2週間以上経過した今でも、≪サービスミニマム≫状態。
患者さんに大きな影響がでなくはなったものの、決していい状態ではない・・。
でも、スタッフは、、≪サービスミニマム≫で、早く帰れることに満足しているような感じもあり、私としては、
当初の目的を忘れたんじゃないの?!
と言いたくなるくらい。
そんなスタッフを見ていると、改めて自分の存在意義や行ってきた活動の意義に疑問が湧いてくる・・。

そして、1年半年以上経過して気づいたこと。
『人に変化を求めてはいけない。』
確か、前任者の活動報告書にも同様なことが書いてあったような気がしますが、ここでは、マイノリティである私が変わらないといけないんでしょうね。

隊員総会

1月8日は隊員総会でした。

「隊員総会」は半年に1度、ガボンで活動する全隊員が一同に会して隊員連絡所の運営について話し合ったり、各種係などを更新したり、各地の情報交換を行ったりしている会です。
首都の隊員連絡所で行うことが多いのですが、今回は、総会執行委員が趣向を凝らしてくれ、首都の港から船で30分程行ったポワン・デニ(海岸沿いにコテージが並ぶちょっとしたリゾート地)で行いました。

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↑ポワン・デニの海岸線(海はきれいとは言えませんが、でも、ゴミはありません。)

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↑海岸で「ソーラン節」の講習会(これは、総会プログラムの一環)

8日に1日かけて総会を行った後、皆で一緒にコテージに泊まり(これはもちろん、自費)、翌日の9日は、海で1日遊んで夕方に首都に戻るというプログラムでした。


そして、この時期、ここでは夜に海ガメの産卵が見れるかも?!ということで、夜21時頃から希望者が案内人(コテージ関係者)につられて海ガメ探しに行きました。
当初、案内人は、「30分程歩けば見れる」と言っていたのですが、歩いても歩いてもそんな雰囲気はありません・・。
1時間半程歩き、もう、皆かなり疲れて諦めかけた時、海岸に大きな物体が!!
カメでした!!
恐らく産卵を終えた後で、両腕(?)を必至にかいて進み、海に戻って行きました。

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↑海に戻るカメ

この感動も束の間、その後30分程の間にまた別のカメを2匹見ることができ、残念ながら産卵の場面に遭遇することはできませんでしたが、皆かなり満足してコテージに戻ることができました。

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↑カメを見た後、記念撮影


このカメ探しに合計3時間程歩いたため、翌日ちょっと疲れもありましたが、久しぶりに海で遊べるということで、私自身かなり張り切ってしまい、ビーチバレーや野球などに思う存分体を動かして楽しみました☆

普段、あまり交流のない隊員もいる中で(特にガボンはそれぞれの任地がかなり離れているため、この隊員総会でしか顔を合わせることがない隊員もいる)、今回のような時間はとても貴重でした。
カメとともにいい思い出ができました。

結婚式②

12月31日の伝統式に続き、1月2日には役所式に参列してきました。

この役所式というのは、市役所において市長の前で結婚を誓い、届出を出すもの。
「市役所で結婚式?!」と、私も実際に目にするまでは、想像がつかなかったのですが、会場である市役所自体が、日本の結婚式場のように式用の部屋を持っているのです。

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↑市役所に入場する新婦

この役所式では、先日の伝統式に着用したお揃いの布の服は着ないことが前提。
新郎新婦もタキシードとウェディングドレス姿でした。
ウェディングドレスは、やっぱりいいですね☆

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↑式用の部屋にお兄さんに付き添われて入場する新婦。感動しました。

流れは日本の教会式と似ていて、お互い生涯支え合うことを誓った後、結婚指輪を交換し、口づけをする、というもの。
ただ、仕切っているのは、「神父」ではなく、「市長」。(詳しいことは分かりませんが、本当に市政を司る市長ではなく、結婚式用の市長代理のような人だとは思います・・。)
そして、複数の妻をとることが認められているガボンでは、男性が結婚する時にモノガミ(妻1人のみと結婚)かポリガミ(複数の妻と結婚)を選択するようになっており、この新郎は「モノガミ」を選択したことが読み上げられ、参列者から大きな拍手がおこっていました。

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↑結婚指輪の交換。

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↑新郎新婦&市長。


そして、夜には場所を変えて披露宴。
日本のように時間きっかりに始まって終わるというものではなく、出入り自由な感じのパーティーなので、少し遅れて20時半くらいから招待された日本人5人(所長、調整員等)で行ってきました。
会場は、日本の披露宴会場と似たような感じ。たくさんの丸机が用意されており、本当にたくさんの人(恐らく200~300人)が詰めかけていました。
食事に歌にダンスに、内容は盛りだくさん。
終わりの見えないパーティーだったので、私たちは0時前に失礼させてもらいましたが、実際は、朝まで続いたそうです。(ほんとにガボン人、元気!)


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↑食事。(ガボン料理の数々で美味でした!)


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↑ダンスする新郎新婦。(新郎より新婦の方がかなりおっきいです・・。でもガボン人男性は、おっきな女性を好きな人が多いのです!)

結婚式&年越し

ガボンで迎える2回目の年越し。
今年は、12月31日に結婚式に参加しました。

ガボンでは、結婚式に①伝統式(mariage coutume)と②役所式(mariage civil)の2タイプがあります。
どちらもとてもお金がかかるので、長年連れ添い、子どもを何人もつくっていても結婚式を挙げていないカップルが多いのが実情です。
しかし、今回は、先輩エイズ対策隊員が活動する先の院長(女性)とその旦那さま(彼もまた医者)のDr.カップル(ガボンでもやっぱり医者はお金持ち!)の結婚式だったので、12月31日の①伝統式、1月2日の②役所式ともとても豪勢な結婚式でした。

まずは、12月31日の①伝統式。
首都リーブルビルにある新郎新婦宅で行われました。
昼すぎまでランバレネで仕事をしてからリーブルビルに移動したため、16時くらいから始まった式にかなり遅れ、19時半くらいからの参加でしたが、式の雰囲気は存分に味わうことができました。

まず、服装。
新郎側の参加者、新婦側の参加者それぞれがお揃いの布で服を作って参加します。(布を選ぶのは、新郎、新婦それぞれで、式の参加者は事前にその布を購入して、自分好みのデザインで服を作ります。)
なので、一目で参加者が新郎新婦のどちらの関係者なのか、分かるようになっています。
私も、もちろん新婦関係者として事前に布を受け取り(購入し)、この日に合わせて服を仕立てていました。
新郎側、新婦側、それぞれ参加者多数(おそらく全部合わせると200人くらい)で、それぞれがお揃いの布で色んなデザインの服を作って着ていたので、見ているだけでとても華やかで面白かったです。

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↑新郎新婦と先輩隊員(右端)。新郎新婦の衣装もそれぞれの参加者とお揃いの布を使った伝統的なものです。

そして、この伝統式の目玉が新郎側から新婦側へ贈る物品(お金も含む)のやりとり。
事前にその品々は決まっているようなのですが、新郎親類と新婦親類でちょっと芝居じみた駆け引きを行います。
具体的には・・
新郎側が「これだけの品を贈ります。」と言って、事前に決まっているものより少なめを出し、それに対して、新婦側が「これでは、大事な娘をやることができな。」みたいなことを言い、だんだんと品物の数やお金の金額を釣り上げていくやりとり。
これに非常に時間がかかり、決着がついたのは、21時すぎくらいでした。
(ちなみに、品物は多種で、布やお酒に加え、羊や牛も含まれていました・・。)

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↑やりとりの様子(左が新婦側、右が新郎側)

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↑家の裏に繋がれていた贈り物の牛

それから、参加者1人1人が列を作って順番に2人にお祝いの挨拶をしていき、一通りの儀式が終了。
その後は、食事が振る舞われ、祝宴が行われたようなのですが、それに付き合っているとあまりに遅くなるようだったので、2人に挨拶をした後、先輩隊員とともにその場を後にしました。

そしてその後、隊員連絡所(私たちが首都で寝泊まりする所)近くの調整員宅にお邪魔し、年越しそばをご馳走になった後、既に集まっていた他の隊員や大使館関係者の方々とともにカウントダウンして新年を迎えました。
暑い、熱い(?)新年の始まりでした。
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